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物書き玖美のありゃりゃな生活

もの書き・編集者・校正者の、本と言葉と日常。ペンネームは亡き祖母の名前。

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ことばを扱うものとして (2014.03.02)
ものすごーーーく今さらながら、都知事選の話。

毎日新聞のボートマッチサイト(http://vote.mainichi.jp/2014tochijisen/index.php )で、候補者中一番私の考えに近いという結果が出た(それでも56%の一致度だったのだが)のと、
大雪の日、新宿の選挙事務所をホームレスに開放すると書いていたのにちょっと感心して
家入一真氏をツイッターでフォローしてみた。

その家入氏の言葉たち。
「やさしい革命」
「居場所をつくっていきたい」
「未来を作るのはぼくら」
「絶望してはいけない、愛を持って闘おう」

……いや、まあ、若いからいいんだけどね……。

そんなのを見ていたら、ちょっと前のNHK「クローズアップ現代」の特集を思い出した。
「あふれる“ポエム”?! 〜不透明な社会を覆うやさしいコトバ〜」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3451.html
というサブタイトルで、最初に「居酒屋甲子園」なるイベントを取り上げていた。

「居酒屋甲子園」といっても、サービスや料理の質を競うものではなく、
居酒屋で働く若者が、自分の挫折経験や居酒屋で働く喜びを聴衆の前で語り、
それがどれだけ心を打ったか、を競うものである。

その居酒屋甲子園での言葉たち。
「夢は一人で見るものじゃない、みんなで見るものなんだ」
「すべてはお客様の、そして仲間の笑顔のために」

……いや、まあ、その……。

TVに映し出されるイベントの様子を見ていて、さらに思い出したことがある。
中学生の時、同じ部活の友人に「私、歌ったり踊ったりするんで、見に来て」と誘われた。
ミュージカルか何かに出るのかな? と気軽に行ってみたら、
それは、宗教のイベントだった。

そこでの言葉たち。もう30年近く前なのでうろ覚えだが。
「立て、はばたけ、光の子らよ」
「未来は、私たちのもの」
「夢を信じて」

……いや、まあ……やっぱダメ! おばちゃん(43歳)、書いててすでに恥ずかしい!! 

そう、この3つの場面での言葉たちは、恥ずかしさにおいてすごく似ている。
発している方は、恥ずかしさなんて全然感じていないであろうところも、似ている。


クローズアップ現代では、さらに自治体の条例名も取り上げていた。

「子どもたちのポケットに夢がいっぱい、そんな笑顔を忘れない古都人吉応援団条例」

なんのことやら? と首をかしげる条例名だが、
要は、ふるさと納税やふるさとへの寄付を推進する条例らしい。
コメンテーターも危惧を表していたが、「やさしいことば」は、本質を見えにくくする。

そのこともあるが、私が最も危ういと思うのは、「やさしいことば」は正論すぎて逆らえない、ということだ。
宗教の言葉がやさしく、誰にでもあてはまるようにできているのは、逆らったり反論したりできないように、なのだ。

「居酒屋甲子園」でのやさしいことばは、たとえばこんなふうに使われる可能性だってある。

店員「社長、こんな給料では結婚もできません。給料を上げてください!」
社長「何を言ってるんだ! お客様の、そして仲間の笑顔があれば良いじゃないか!」
店員「社長、僕が間違ってました!」

やさしいことばの正論さは、反抗するすべを奪い、同じ「ノリ」同じ「感動」を共有することを強制する。
これが洗脳でなくて、宗教でなくて何だろう。

宗教というとまたまた思い出すマンガがある。
白土三平「サスケ」。
大昔の忍者マンガだが、そこにあった「神」についての記述は、どんな哲学書より腑に落ちた。

実家にあったマンガなので、例によってうろ覚え。

「人々が、自分たちの力ではどうしようもない、大きな困難にぶつかる。
そのとき神が生まれ、人々が自力でそれを乗り越える力を持ったとき、神は消えていく」

これなんだよなあ。

クローズアップ現代のサイトには、
「震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが『ポエム化』と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。この風潮を特に支持するのは、『年収200万時代』の低収入の若者層と言われるが、厳しい現実を生き抜くために現状を肯定しようとする傾向が年々強まっているとされる」
と書かれている。
また、最初にとりあげた家入氏も、いじめから引きこもるという「挫折」を経験したという。

でもねえ、
それって、本当に「自分たちの力ではどうしようもないこと」なの?
やさしいことばという宗教にすがって現実を忘れなきゃいけないほどの困難なの?

給料は本当に何をやっても上がらないの?
いじめから逃げることは本当にできないの?
引きこもったら人生終わりなの? 本当に居場所はないの?

厳しい現実との戦いから逃げるためのおまじないではないの? 本当に?


個人的には、「愛」だの「未来」だの「やさしさ」だの「夢」だの、
そういうことばは本当にそれについて考えて考えて考え抜いた人だけが
多用してよいもので、おばちゃん(43歳)なんかにはまだまだその資格はない、と感じている。

古来から賢人たちがどれだけそれらについて考えたか、考えて苦しみ抜いたか、
それを思うと、たやすく使えることばではないと思う。

ことばを扱うものとして、空疎な「やさしいことば」が
戦わない言い訳のために消費されていくのを見るのは
悲しく、腹立たしい。

「形のないものに誰が 愛なんてつけたのだろう」 (中島みゆき「あした」)

これですよ。
| コトバのモンダイ | 18:10 | comments(0) | trackbacks(0)
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