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物書き玖美のありゃりゃな生活

もの書き・編集者・校正者の、本と言葉と日常。ペンネームは亡き祖母の名前。

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寂しさは言い訳にならない (2010.08.02)
されど引っ越し。とにかく引っ越し。ホントに引っ越し。
そんな感じでめっぽう忙しいのだけど、どうしても気になることがあったので、書く。

大阪の幼児遺棄事件について、2人の方が書いていたことに関して。

作家、内藤みかさんのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/micanaitoh/diary/201008010000/

作家・TVディレクター・映画監督、山田あかねさんのブログ
http://yaplog.jp/akane-y-dairy/archive/2162

内藤みかさんはご自身もシングルマザーでホストクラブにも行っていたという経験から、
山田あかねさんは若いシングルマザーを支援する環境がないという視点から、それぞれお書きになっていて
それぞれ、だいたいのところにおいては同感なのだけれども
それでも、お2人のブログ記事を読んで、私は違和感を禁じ得なかった。


断っておくけど、私は決して母性神話の信奉者ではない。
「母親は24時間365日母親であるべし」とか「子どものためなら自分の楽しみは犠牲にして当然」とか
そんなことはこれっぽっちも思っていない。
むしろ、そんなに自己を犠牲にして(そしてそのことに自己陶酔して)子どもを育てて、
子どもに恩着せがましくならない母親なんてごく少数だと思うし、
恩着せがましくするぐらいなら、母親自身の楽しみを追求した方が子どもにとっても良いと思う。
だから容疑者に対して「母親なのにホスト遊びをするなんて」と眉をひそめるわけじゃない。
(ちなみに私は、ホステスさんなど接客業の人に気を遣ってしまうので
ホスト遊びも「何で高い金を払って気をつかわにゃならんのだ」という理由で、やらない)
母親が風俗店従業員だったというのも、2人の子どもを1人で育てるのだから
とにかく稼ぐ必要があったわけで、せっかくの若さを生かして高給を得たいと考えるのは当然だと思う。


そうじゃなくて、私の違和感の原因は

1.母親のホスト遊びが「育児の合間の息抜き」の域を超えていたことをわかっているかどうか
2.「加害者」である母親の心情に寄り添っているのに、「被害者」である子どもの心情には触れていないこと
3.寂しさのせいにして良いのか

この3点。


1.について、内藤みかさんは「自分は月に1回、子どもをベビーシッターに預けてホスト遊びをしていた」という
ことに触れ、「シングルマザーには強烈な寂しさを抱える人が多いから、寂しさを埋めるためにホスト遊びをしても責められない」というようなことを書いていた。
それはそれで正しいと思う。

が、内藤みかさん自身、ホスト遊びをしていたのは「月に1回」、しかも「子どもはベビーシッターに預けて」だったと書いている。
その頻度や、子どもの安全を確保していたことからも、内藤さんのホスト遊びは仕事や子育ての合間の「息抜き」の範囲内と言えると思う。

かたや、大阪の母親はどうだったろう。
2〜3日の外泊、そして6月下旬からは全く家に帰らず子どもは置き去り。
これが内藤さんのケースと同じだと言えるだろうか。

私には、家に帰ると待っている子どもという「現実」から逃れるためだったとしか思えない。
私も現実逃避は得意中の得意で、今だって引っ越し準備という「現実」から逃れてこうして書いているわけだが
それでも常に内側で声がする。
「逃げても現実は消えてくれるわけではない」と。
そして結局荷物の山に向かうことになる。

大阪の母親は「臭いものに蓋をする」とばかりに現実から逃げ続けた。
その結果、2つの幼い命が失われた。


ここで違和感の原因2.に移るが、内藤さん・山田さんのお2人とも
「母親の大変さ、寂しさ」には触れているのだけれど
残されて母親を待ち続けた子どもたちの「苦しさ、寂しさ」には触れていないのが、どうしても気になる。

母親は大人で、金もある。行動もできる。
ホスト遊びで気を紛らわせることも、コンビニで弁当を買うこともできる。外泊もできる。

けれど3歳の長女と1歳の長男には上記のどれもできない。
母親、あるいは救いの手を待ち続けることしかできない。
子どもだけではできないことがあまりにも多い。
それが、大人と子どもの、決定的な違い。

「寂しい」「遊びたい」そう考えたのは母親だけだったろうか。
3歳の長女と1歳の長男は寂しくなかっただろうか。
外で元気に遊びたいとは思わなかったろうか。
寂しい、遊びたい、お腹がすいた、喉が渇いた、苦しい、助けて、そう思いながら死んでいったであろう、その短い一生は、何だったのだろうか。


ちょっと話は飛ぶけど、こういった事件のニュースを見聞きするたびにいつも思うのは
「世の中って性善説で動いているんだな」ということ。

「普通の人間ならば」するはずがないのに、こんなひどいことをした、その心情は、心の闇は……
と、あくまで加害者の心情を探索して「普通じゃなくした原因」をさぐろうとする。

普通の人間が、一番怖いんだよ。
しきりに「心の闇」って騒いでるTVリポーターさん、あなたにも闇の部分があるでしょ。
でもあなたは普通の人間でしょ。それが行動に出るか出ないか、そういうことだよ。


話を戻して3.に行く。
自分の話になるけど、かつていわれのない嫌がらせをしてきた人がいた。仮にAさんとする。
私のこともAさんのことも、両方知っている人に
「なんでAさんはこんなことするんだろうね? 私のこと嫌いなら、離れればいいのに」と相談したところ
「Aさんは寂しいんだよ」という返事で、その時も私は違和感を覚えたのだった。

「寂しい」って伝家の宝刀?
抜けばなんでも許されるの?

シングルマザーの寂しさを全部わかっているかといえば、もちろんそんなことはない。
私は友人にも、連れ合いにも(離婚はしたけれどその後は)恵まれたと思っているし
そんな人間が寂しさを語るな、と言われるかもしれない。

でも、極端なことを言えば、それこそ誰でも一人で死んでいくわけで、
そこに寂しさを覚えたから……という理由があれば、何しても良いのか?

ある日突然白馬の王子様が現れて、受身のまま連れ合いになったわけじゃない。
自分の価値観をはっきりさせる、とか、価値観の合う人を見つけるアンテナをちゃんと張るとか
相手の話を聞くとか、そんなことだって立派に連れ合いを見つける「努力」で
そういう努力はちゃんとしたと自負している。


環境が整っていないせい、というけれど、その環境の中での努力をしたのか?


「カウンセラーがいれば」というけれど、母親はカウンセラーを捜したのか?
でーんと座って待っているだけじゃ、カウンセラーはやってこない。
まして周囲には「子どもは実家に預けた」と嘘をついていたのだから。

自分の寂しさを「全部」わかってくれる人なんていない。
だって自分じゃないもん。
自分と全く同じ生育歴や環境の人なんていないもん。

だったら少しは、自分の寂しさを自分で埋める努力をしないと。

「寂しい、寂しい」とわめいているだけじゃ、何の言い訳にもならない。

| 脳内無法地帯 | 19:31 | comments(2) | trackbacks(0)
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| - | 19:31 | - | -
コメント

私も、内藤さんと山田さんのブログを読ませて頂いて、違和感を感じました。
玖美さんと同じです。

子供を育てるということは、その過程で自分もマチュアにならなくてはならないということです。
なぜなら、子供を守れるのは親である自分しかいないわけだから。

淋しいとか大変とか、もちろんいろいろありますし、よくわかります。
それでも、安全に、命を育むといういうことに関しては、いいわけの余地はないように思います。

目の前にいる子供の小ささ、儚さになぜ目を留められなかったのか…

長くなってしまってすみません。
玖美さんとまたゆっくりお話したいです。
引っ越しがんばってください!
| mizuho | 2010/08/03 10:00 AM |
mizuhoさん

コメントありがとうございます。

そうなんですよね、好むと好まざるとに関わらず、成熟(少なくとも、子どもを育てられるまでには)ならなければならない。
その覚悟がどうしてもできないのであれば、里子に出すなり施設に預けるなり、すればいいのではないかと。

この母親に関して許せないのは、周囲には「良い母親」を演じていたということです。

「世間が良い母親像を押しつけるからだ」という見方もできるでしょうが、だったら世間と戦えばいい。
「世間様の求める母親は私にはできません」と認めればいい。
そういう、世間と戦う強さを身につける努力も、したのかどうか。

母親が世間にいい顔をしたいがために、その「世間」すら知らずに死ななければならなかった子どもたちの無念は、母親の大変さや寂しさよりも軽視されて良いものなのか、そう思います。

私もつい長くなってしまいました。
またゆっくりお話ししましょうね!
| 玖美 | 2010/08/03 11:19 AM |









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