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物書き玖美のありゃりゃな生活

もの書き・編集者・校正者の、本と言葉と日常。ペンネームは亡き祖母の名前。

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「善人」の害悪 (2010.04.16)
評価:
中島 義道
新潮社
¥ 420
(2003-02)
Amazonランキング: 22461位
Amazonおすすめ度:
案外、マジョリティの考えな気がする
「隠された偽善」を取り出して暴いた本
笑えてすっきり。

そしてまた1か月ぶりの投稿orz

* * *

『私の嫌いな10の言葉』を買ったのは、単行本が発売になった約10年前。
その後まもなく調子を崩し、本という本が読めなくなっていたので
ずっと「積ん読」になっていた。

なぜ今になって読む気になったのかというと、この本に「嫌いな言葉」として取り上げられている
「相手の気持ちを考えろ」というセリフを、直接ではなかったが、言われたからである。

「相手の気持ちを考えろ」と言うならば、「『相手の気持ちを考えろ』と言われた相手の気持ち」も考えて欲しい。
でもそれはできない。
なぜならば、先に「相手の気持ちを考えろ」と言ったものが正義になる、そんな早い者勝ちのセリフであるから。

まず、こう語る人が信じ切っている「公理」がある。それは、すべての人間の感受性は同一であるということです。常に「おまえもひとりぼっちでいると寂しいだろう。だから、他人もひとりぼっちにしてはいけないよ」とか「お前だって文句ばかり言う奴は嫌いだろう。だから人に文句ばかり言ってはいけないよ」という等式が成立するかぎりで、人間をとらえる。もちろん、こういう等式が成り立つ場合もありますが、そうでない膨大な場合があることを、こういう人は認めようとしない。(「1 相手の気持ちを考えろよ!」)


そうなのです。「あなた」は「ひとりぼっちでいると寂しい」かもしれないが、「私」は「ひとりぼっちが気楽で好き」かもしれない。
同じ言葉、同じ状況に接して「私」はAと思うかもしれないが、「あなた」はBと思うかもしれない。
この「誰々は〜かもしれない」を全部どこかへやってしまって、「気持ちというものは、考えたらわかるはずのものだ。わからないのは考えてないからだ」と決めつけ、相手を悪とする言葉なのだ。

そして、相手を悪とするということは、自分を善、正義とすることである。

この本における「嫌いな言葉」は「1相手の気持ちを考えろよ!」の他に9つ挙げられている。

 2 ひとりで生きてるんじゃないからな! 
 3 お前のためを思って言ってるんだぞ! 
 4 もっと素直になれよ! 
 5 一度頭を下げれば済むことじゃないか! 
 6 謝れよ! 
 7 弁解するな! 
 8 胸に手を当ててよく考えてみろ!
 9 みんなが厭な気分になるじゃないか!
 10 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

恐ろしいことに(?)私自身、これら全て嫌いである。 「2 ひとりで生きてるんじゃないからな!」に対しては「ひとりで生きてたらアンタにこんなこと言われずに済むのにねえ」と思うし、「4 もっと素直になれよ!」に対しては、「ステレオタイプの『素直』のイメージに私が従ってないというでけでしょ?」と思う。「8 胸に手を当ててよく考えてみろ!」に関して言えば「1 相手の気持ちを考えろよ!」と同様の傲慢さを感じるし、「9 みんなが厭な気分になるじゃないか!」に関しては「自分が(善である)みんなの代表として悪であるお前にもの申す」という傲慢さを感じる。

そして、著者も書いているがこういうセリフを(気恥ずかしさを伴わず)吐く人は、「自分は、みんなのことを考えるやさしい善人である」と思っている。
「自分は善である」と思っている人は、「自分は果たして善なのか」と悩むのも「善人であるからこその悩み」であると、心の底では、わかっているように思う。なぜなら悪人はそんなことを悩まないだろうから……と、これも「善人」の勝手な想像だと思うけれども。

ちょっと話はずれるかもしれないが、詩人の最果タヒ(森山森子)のブログ( http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1)にあった「なんの役に立つんですか?」というセリフも、「みんなの役に立つことを考えなきゃいけない、と思うと、自然とこういう質問が出てくるはずよね?」という、「善であるみんなの代表としての自分」を意識した発言のように思える。

善人は傲慢なのである。
「自分は皆のことを考えている善人だ」と思っている善人よりも、「自分はエゴイストだ」と思っているエゴイストの方が謙虚だ。なぜなら、エゴイストはマイノリティだから。マイノリティであるべきものだから。
マイノリティであるところのエゴイストは、マジョリティである「善人」に気を遣っていなければ生きていけない。
そういう意味で、エゴイストの自覚があるエゴイストは、謙虚なのだ。

一人ひとりが発する言葉は、公のニュースや非常に影響力の強い人の発言を除けば、著者の言う「個人語」であるはず。
そして個人語は「額面どおりに」受け取っていいはず。
なのに本音を言えば「素直になれよ!」「弁解するな!」と言われ、相手を不愉快にさせた(それはどちらが悪いとは言えない類のものであるかもしれないのに)という一点において「謝れよ!」「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」と、「額面どおりではない」謝罪を要求される。

「善人」がマジョリティである社会では、一人ひとりの言葉が常に誰も不愉快にさせないようにあらねばならない。
まさに「ひとりで生きてるんじゃない」からこそ、言葉は軽く丸く平均化・量産化された、ピンポン玉のようなものになっていくのである。
| コトバのモンダイ | 12:24 | comments(6) | trackbacks(0)
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| - | 12:24 | - | -
コメント
すごい本読みましたね
たしかにどれもきらいだわ(笑)
| こゆり | 2010/04/16 9:26 PM |
こゆりさんからそう来るとは思いませんでした(笑)。
すごい本ですよね〜この著者にはまりそうです。
| 玖美 | 2010/04/17 7:38 PM |
「なんの役に立つんですか?」と言ったアナウンサーさんに、
春から秋にかけて連日行われる球転がしが、なんの役に立つのか教えてもらいたいですね
| | 2010/04/30 10:34 PM |
(空白)さん

春から秋にかけて行われる球転がし……サッカー?
たしかに「なんの役に立つんだ」ですよね。
「感動を与える云々」とか言うんでしょうが。
じゃあ科学は感動を与えないのかと。
| 玖美 | 2010/05/01 11:05 AM |
私個人的には、上から目線で「反省しろ」という言葉の使い方に生温いものを感じ、好きではありません。
「悪いところは改めます」
という言い回しに変えるだけで、その言葉を用いた人間のポジティブ度はぐっとアップしたように感じて、ああ、この人はクレバーだなぁ…と思ってしまいます。
簡単に自己分析するに、「反省」=「自分がデフォルトであることを自認している」=「私は善」「悪いところは改める」=「自分も欠点のある人間である」=「自分にも悪の部分もありますから」
…そういった解釈をして後者の方が圧倒的に印象が善い。
私は、きっと根っからのオプティミストでエゴイストなのでしょう。
私も是非一読してみます。
| カミーユ | 2010/06/03 11:28 PM |
私は「反省しろ」≒「絶対的にお前が悪いのだと認めろ」という論調になってしまうことに引っかかりを感じますね。
「反省」って、元々の意味は「かえりみる」ことで、
省みることは元来、善か悪かを問い直す行為であって、マイナス要素=悪「だけ」をとりあげる行為ではないんですよね。
善か悪かを考え直してみて、その上でカミーユさんの書いていらっしゃるように「悪いところは改める」、でも悪いところがなかったら改めなくていい、「反省」とはそうあるものだと思います。
「反省しろ」=「絶対的にお前が悪いのだと認めろ」だと、そう言っている自分は善の代表? という感じがして、反感を覚えます。

ある人にとっては善であることが、ある人にとっては悪になったりすることもあるわけで、
誰も自分がデフォルトだなんて言えるわけがないんですよね。

……というようなことも考えさせられる本です。よろしければ、読んでみてください。
| 玖美 | 2010/06/04 10:46 AM |









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