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物書き玖美のありゃりゃな生活

もの書き・編集者・校正者の、本と言葉と日常。ペンネームは亡き祖母の名前。

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マイNGワードその7「女性なら〜」「私たち女性」 (2008.05.12)
最初に違和感を覚えたのは、一九九八年末の「紅白歌合戦」でのことだった。
産休明けで復帰し、「CAN YOU CELEBRATE?」を歌い始めようとしていた安室奈美恵を、司会の久保純子アナが迎えて放った言葉。

「私たち女性に、勇気を与えてくれました……」

ちょっと待て、私は女性だが安室奈美恵に勇気をもらった覚えはないぞ。そう感じたのが最初だった。

その後も同様の言葉が襲いかかる。テレビから、雑誌から、街頭演説から。
曰く、私たち女性の働く権利。曰く、私たち女性が愛してやまないスイーツ、曰く、私たち女性の永遠の課題アンチエイジング。変形バージョンとして「女性なら誰も」がある。使用例としては「女性なら誰もが憧れるウェディングドレス」。
また「女性ならではの視点」なんていうバージョンもある。

そうなのか?

女性という性に生まれたからには、働く権利を主張して男性優位社会と戦い、甘いものを「スイーツ」と呼び食べ放題に行き、アンチエイジングに東奔西走し、ウェディングドレスにうっとりと見とれ、同じ視点を持っていなければならないのか? 地球の人口70億の、約半分を占めるであろう女性が、全部。

人口を二分割したときに、その片方が皆同様の志向を持つなんてことがあるのだろうか。それならば四分割してくれる血液型占いのほうがまだ一人ひとりの個性に近づく気がする。
黄道十二宮占い、いわゆる星座占いに至っては12通りもある。二通りよりはまだマシではないか。

「女性」。自分を初めにそう規定してしまうこと自体が、自分の幅を狭めている気がする。
なぜ自分を「女性」「女」と言う前に「自分」と言えないのか、不思議な気がする。

男性も同様。「女性のほうが気が利くから」「女性のほうが家事が上手だから」などと考えている輩がいまだにいるようだが、それはいままでその男性が関わってきた女性に「たまたま」そういう人が多かっただけであって、女性がすべてイコールじゃない。
専業主婦である妻に家事を任せていたとしても、それは自分の妻が「主婦」という職業に就いているからであって、「女性」だから家事が上手い、好き、だから任せていい、というわけではない。

すべて、先にカテゴリーありきではないはずだ。一つ一つの事象を勝手に、しかもおおざっぱに分けたものがカテゴリーであって、先にカテゴリーがあってそこにはめ込まれなければならなかった、というのではなかったはずだ。そうでなければ性同一性障害の人や、半陰陽の人が存在するはずがない。

最初の久保純子アナと安室奈美恵。テレビに出る人、ということは共通していても、年齢も違えば通ってきた道も、職業も違う。考え方や人生設計もおそらく違うだろう。それなのに「私たち」とひとくくりにすることは、失礼には当たらないのだろうか。
久保純子でも安室奈美恵でもない、紅白歌合戦の視聴者は、ひとくくりにされて怒らないのだろうか。「女という共通点だけで、あなたと一緒にしないで欲しい」と。

「個性を大事に」などとどんなに言っていても、こうやってひとくくりにされるとその言葉がむなしく、上滑りなものに聞こえる。
| コトバのモンダイ | 19:25 | comments(0) | trackbacks(1)
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| 心と生き方を磨く名言 | 2008/05/14 4:51 AM |