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物書き玖美のありゃりゃな生活

もの書き・編集者・校正者の、本と言葉と日常。ペンネームは亡き祖母の名前。

超長文自分語り「母について」 (2017.09.01)

《Causion!! ホント、マジで、注意です!!》

※題名の通り超長文の自分語りです

※私自身が母との関係を棚卸ししたいと思って書いたものです

※チラシの裏にでも書いとけ他人に見せんな、という意見もあるかと思いますが、他人が見るかもしれないという緊張感のもとで書かないとあらぬ方向に行きそうなのであえてこちらで書きます

※なので読むにはおよびません、読んでいて決して気持ちの良いものではないと思います

※読んでから「こんなん書くな」はご容赦ください

 

ちなみに↑は二次創作サイトpixivでの注意書きを参考にしました。二次創作の世界も大変ですね……。

というか4時間半で約9,700字書いちゃったよ、私。 集中すれば1日で短編書けるんじゃないかな?(^_^;) 頑張ろう。

 

それはさておき、よろしいですか? 始まりますよ。

 

 

私は4歳半のとき両親の元に引き取られました。

とはいえ、養女等ではありません。実の両親です。

私はいわゆる「でき婚」の子で、私が生まれた当時父はまだ学生だったので母も働かねばならず、生後2か月から群馬の母方の祖父母に預けられていました。

父が就職して落ち着いたころ、母が仕事を辞め、私を引き取った次第です。

 

(ここですでに書きながら動悸がしています)

 

母に関する最初の記憶はこんな場面です。

幼児用月刊誌(「めばえ」か何か)に星占いの欄を見つけた幼児の私。

母の生まれ星座を見ると「運勢最高」のようなことが書いてある。

喜び勇んでそれを母に見せに行く。「見て見て、お母さん運勢最高だって!」

母は雑誌を手に取るなり、 「占いなんて信じるのはろくな人間にならない!」とそれを破り捨てる……。

 

その後どうしたか、覚えていません。たぶん泣いたんだと思います。

 

この「ろくな人間にならない」をはじめ、人格否定ワードは、私が母の気に入らないことをしたときに投げかけられるデフォルトの言葉となります。

 

髪の寝癖を直そうとしただけで「見てくれに気をとられるなんてろくな人間にならない」。

友達が家に遊びに来るから掃除しようとすると「ありのままの姿を見せられないなんてホントの友達じゃない、慌てて取り繕おうなんてろくな人間にならない」。

できなくてイライラするからと料理の手伝いを全くさせてもらえなかったのに、いざガスコンロの火が怖いというと「優しい心があればできるはずだ、アンタは冷たい人間だからできないんだ」。

 

私が小泉今日子を「キョンキョン」と呼んだら「芸能人なんかにうつつを抜かすのはろくな人間にならない!」と言われました。
その後母が田原俊彦を「トシちゃん」なんて言ってるのを聞いて「け」(引用:佐々木マキ『やっぱりおおかみ』)と思いました。

 

また、母は毎晩酒を飲んでいましたが(ここで1つ弁明させていただきたいんですが、同じ酒飲みでも「酔っ払うために飲む」のと「美味しいから飲む」「楽しむために飲む」のは違います。料理酒にまで手をつける母は、完全に前者です)、そこで私に毎日、同じ愚痴を言います。

 

母は6人兄弟の5番目で、母と看護学校に行った一番上の伯母を除いて全員東大卒でした。

母は4浪して、それでも結局東大には合格せず、東大建築学科卒のすぐ上の伯母のツテで建築事務所に経理として就職しました。

その兄弟間のコンプレックスを、私に愚痴として話すのです。 ( )内は現在の私からのツッコミです。

 

「お母さんは兄弟の中でも愛されなくて可哀想」(いやあの時代みんな兄弟多いんだから同じような思いしてた人はたくさんいたでしょうよ)

「お母さんは兄弟がやってきたことはすべてあきらめた」(それ自分から兄弟を意識するほうにいってない? てか世界は兄弟の中だけなの? 視野狭すぎじゃない?)

「東大にも受からなかったお母さん可哀想」(それ実力がなかっただけだよね? 可哀想とかいう話じゃないよね?)

「つらかった、苦しかった」(いやそれ私にはどうしようもないよね? お母さん自身でどうにかしなきゃだよね?)

 

今でこそツッコミの入れようがあるのですが、4歳5歳の幼児(私)に酔っぱらいながらそんな話を延々とされてもつまらないだけでした。

ですが私がつまらなそうな顔をしたり、眠そうにしていたりすると

「こんなに真剣に話しているのに、アンタは冷たい子だ!」

 

ちなみに、母は数学が大得意で暗記科目がまるでダメらしいのですが、「数学で満点取れれば東大に受かる!」と根拠もなく信じてたようです。そりゃー受かるわけがない。

 

そして私は解離性障害の症状をあらわします。

今にして思えば、あれがその症状だったんだなあ、ということですが。

 

解離性障害の症状で有名なのはいわゆる「多重人格」ですが、要は「自分が自分であるという感覚が失われている状態」で、他にもさまざまな症状があります。

「健忘」……記憶をなくす。

「遁走」……突然失踪する。失踪していた間の記憶を失う。

「カタレプシー」……体が硬直し動かなくなる。

「昏迷」……体を動かす、言葉を交わすなどができなくなる。

「離人症」……自分が自分であるという感覚が障害され、あたかも自分を外から眺めているように感じられる。

「解離性てんかん」……心理的な要因により、昏睡状態になる、体が思うように動かせなくなる、感覚が失われるなど。

 

幼児期の私に起こっていたのは「離人症」「健忘」「遁走」でした。

布団に横になっているとき、あたかも幽体離脱したように、横になる自分の姿を見ていたり(離人症)、

手に持った覚えのない物をいつの間にか持っていたり(健忘)、

知らないうちに目的地とは違う場所へ来ていたり(遁走)、

ということが多くありました。

母は「注意力散漫だ」と言いました。

 

もともと体があまり丈夫でなくインドア派だったので、読書は好きでしたが 自分で物語を書くようになったのも5歳頃だったと記憶しています。

現実とは異なる世界を自ら作り上げ、その中で思うように振る舞える主人公を設定することで、 完全に「あっちの世界」に行ってしまうのを防いでいたのかもしれません。

「生きる手段」としての創作でした。

 

小学校1年生の時妹が生まれ、妹を溺愛することでなんとか居場所を定められたように感じましたが、同時に「妹の世話をする母の世話」というタスクも増えました。

 

妹がハイハイで母の一升瓶に突っ込んで倒したら、まず酒を助けようとする母を尻目に、泣く妹を宥めたり。

ママ友のところで母がさんざん酔っ払って、妹をおんぶしたまま走り出し、案の定転んで頭から流血したら、ママ友に電話を借りに行き救急車と父の会社とに電話をしたり。

 

ちなみに父はほとんど家に寄りつかず毎晩飲んで帰ってくる、典型的な会社人間でした。

団塊の世代なんでまあ、そんなもんでしょう。

 

小学校3年生の時、わけもわからず中学受験塾「四谷大塚」の入塾テストを受けさせられました。

なんでも母が前の職場の人と飲んだとき、「娘が四谷大塚の準会員になった」と自慢され、「ウチの娘だってそんなの簡単」と豪語してしまったのだとか(どっちも、娘をマウンティングの材料に使わないでくれるかな!)

 

で、悲劇だったのは、正会員に受かってしまったことです。

 

毎週日曜日のテストにむけて予習し、テスト結果は木曜日にかえってくる。

木曜は復習、金曜土曜は予習の追い込みで、午前2時3時まで寝させてもらえませんでした。

数学が得意な母は、中学受験の算数ぐらいなんてことなかったのでしょうが、私は苦手でした。

「なんでできないのかわからない」「異常でしょ」「やる気がないからできないんだ」と夜中に責められながら問題を解き続けました。

 

37度熱があれば、小学校は休めと言われたのに、四谷大塚のテストは38度5分あっても休ませてもらえませんでした。

1か月に1度は熱を出すような子どもだったのですが。

 

テスト返却の木曜日、小学校を「不登校」ならぬ「不下校」したいと何度思ったことか。

完全下校のチャイムが鳴るまで学校にいて、のろのろと帰宅すると、母の言葉、

「いいご身分ね。こんな点数とっておいて、遊び歩いてくるなんて」。

 

そんな塾に行っておきながら、一方で私立中学には行かせてもらえないだろうということもわかっていました。

貧乏だったからです。

保護者会で同じクラスの歯医者さんの息子が私立武蔵と筑波大駒場を目指していると聞き、「玖美さんのおうちは国立一本なの? 何かポリシーが?」とそのお母さんに訊かれて「お金がないからです」と答えた母はその夜、 「あの悔しさ、わかる!?」と酔っ払って私に絡んできました。(知らんがな。てか、悔しがるなら私の方じゃない?)

 

国立は抽選があるので、私は見事抽選で4校全部落ちました\(^o^)/

ちなみにその歯医者さんの息子は抽選もクリアして、目指していた2校に両方合格し、お兄さんと同じ武蔵に行ったそうです。よかったね。

 

中学になって、部活で卓球を始め、私はだいぶ丈夫になりました。

母は「卓球で食っていけるわけじゃないのに」と不満顔でした。

ほとんどの人は部活が仕事に直結しているわけではないと思うのですが、 「兄弟がやっていたから」という理由でどの部活も長続きせず、 夢中になったことのない母にはわからなかったのでしょう。

 

中学で幸運だったのは、同じように「母親と合わない、母親が嫌い」という友達に巡り会ったことです。

それまではそんな子どもはいない、いてはいけない、いるはずはない、という雰囲気だったので。

このあたりで解離性障害らしき症状がいったんおさまったのも、友人のおかげかもしれません。

 

中学になって、自分の小遣いでこっそりドライヤーを買いました。

しかし相変わらず寝癖を直そうとすると「ろくな人間にならない」と言われるので、ドライヤーもムース(香りで母にばれるので、無香料のものをこれも小遣いで買いました)もブラシも、自分の机の鍵つき引き出しにしまいました。

ちなみに7歳下の妹は、のちに中学に上がった際、平気でドライヤーを使っており、母も何も言いませんでした。

 

高校では、1度もお弁当を作ってもらえませんでした。

「お母さん朝が弱いから、ごめんね」ではなく、

「高校の隣にコンビニがあるのにお弁当作らせようなんて、お母さんを奴隷と思ってるに違いない! 冷酷な子!」と言われ、

毎日毎日コンビニ弁当でした。

他の子はほぼお弁当でしたが、その家のお母さんは皆、奴隷なのでしょうか。

 

大学に行くときはそりゃあもう、母親の東大コンプレックスを刺激しまくりでした。

その頃にはもうやりたいことが固まっており、「京大の哲学科か早稲田の文芸専修に行きたい!」という希望がありました。

現役の時は2校とも落ち、浪人になって家計を考え、京大は断念しました。

1浪して希望通り早稲田の一文に受かり、私としては「よっしゃあああ!」でしたが、 案の定母は

「卓球なんかにうつつを抜かしていたから、早稲田しか受からなかった」と 大変ご不満な様子でした。

(で、母よ、あなたは何にうつつを抜かしていたから東大に受からなかったのかな?)

 

大学生になって一番嬉しかったこと、それは「家に帰らなくてもよい」ことでした。

飲み歩いて友達の家に泊まったり、それでなくても母の寝ている時間に帰れば、接触しなくて済みますから。

 

その後就職し、ある日帰宅すると母が酔っ払って泣いていました。

数日前からちょっと具合の悪そうだった家の猫が、何も食べずに寝てばかりだとのこと。

「だから、せめて家で死なせてやろうと……」とまたさめざめと泣くのですが、

訊けば動物病院に連れて行くどころか、病院を探しもしていない様子。

(ホントに猫のこと大事にしてるなら、酒飲んで泣くより先にやることがあるでしょ!?)

ちょうど帰ってきた妹と一緒に、電話帳で近くの動物病院を調べ 片っ端から電話し、

夜間でも受診可能なところを探し、母も引っ張って 猫に引っかかれて傷だらけになりながら毛布にくるんで連れて行きました。

ちなみにあとから「洗濯ネットに入れる」という方法を知りました。抜かった。

 

注射一本で猫は元気になりました。

その二、三日後のこと、夜中に目が覚め、母が父にこう言っているのを聞いてしまいました。

「あんなときにあんなに冷静に対処できるなんて。玖美はやっぱり冷たい子ね」

 

(ここでまた動悸と吐き気がやってきました)

 

一度目の結婚直前に私は家を出ました。

早くこの家族から逃れて、新しい家族を作りたい、私だけの家族を」と思って、結婚を焦っていたことは否めません。

一度目の夫に、家族としての違和感は何度も感じていましたが、目をつぶっていました。

 

息子1の出産、職場復帰、結核入院を経て、そのツケが回ってきました。

今のようにSuicaのない時代、病院から職場に直行しようとしたら、 切符の買い方がまったくわからなくなっていました。

冷や汗が出るのをこらえ、2,30分その場に立ち尽くし、 ほかの人が切符を買うのを見て真似して、やっと買うことができました。

解離性障害の症状の再来でした。

 

そこからはまさに坂道を転がるように、さまざまな症状が出てきました。

2歳の息子1をつれて福島の夫(当時)の実家に行ったとき、夜、気がついたら知らない線路際に立っていました。

雨の中、パジャマのまま、裸足で。 遁走でした。

 

実父の会社に知らないうちに電話をかけていたこともありました。

実父は「玖美のしゃべり方じゃなかった。ぞっとした」と言っていました。

 

OD(オーバードーズ=薬の過服用)による自殺未遂は計6回あったと思います。

鬱状態になり、本を読もうとしても全く頭に入ってこず、音が脳を滑るだけ。

当然仕事にはならず、休職を繰り返しました。

 

ちなみに夫(当時)は私が育休や結核、精神障害で休職しても、「休職手当が入るんだろ? 給与の半分もらえたら良いじゃないか。玖美の貯金もあるし」と言って、自分のやりたいことを中断したり、私の負担を減らすために働いたり、などはしようとしませんでした。ただずっと、『Number』スポーツノンフィクション大賞(年1回)に応募するための原稿を書き続けていました。 

 

精神科医は私の症例を学会で発表したいと言いました。

私は学会の記録を見せてくれるならば、と条件をつけて了承しました。

記録には、「診断:解離性障害」とあり、意見のまとめとして 「あまり働かない夫の分を稼ぐぐらいの社会性はあるので人格障害とは言いがたい。おそらく子ども時代にちゃんと『子ども』をする環境になかったのではないか。経験していない『子ども』は卒業できない。そのまま、今度は子どもを育てる側になって混乱が生じているのではないか」 とありました。

 

その流れで主治医に、上記のような幼児期からの経験を話すと、はあーと呆れた様子で 「それは精神的虐待だよ」と言われました。

そこで非常に救われた気がしたのを覚えています。

 

離婚にいたり、自殺未遂を繰り返す私の元にいたら何かの拍子に道連れにしてしまいかねないと、息子1の親権は元夫にしました。

息子1は2歳8か月でした。 離婚の際、私みたいなことになるのは避けたくて、元夫には 「祖父母に預けるならば、あなたのほうにしてほしい。ウチの母のところにいたらまた、母の自己実現のために東大に行かせる、なんてことになりかねない」 と頼んだのですが、覚えていたのかいなかったのか、結局息子1は私の実家で育てられることになりました。

 

息子1に会うためには実家に行くか、あるいは母に連れてきてもらわねばならない。

どちらにせよ母と顔をあわせなければならない。それが大変な苦痛でした。

 

子どもには会いたい。でも母には会いたくない。

なので母を「薄める」ために、会社の方々との子連れ飲み会を企画しました。

そこでも母は、私の会社の先輩を捕まえて「自分は小さいころ、兄弟と比べて……」と 4歳の私に毎晩語っていたようなことを、延々と語っていました。

末っ子である先輩が理解のある相づちを打つのに気をよくし、 しまいには酔っ払って「わたしこの子好き!」と抱きつく始末。

その間、私は「先輩が困っている、助け船を出せるのは私だけだ」とわかっていたのに 体が震えてどうしても動けず、後ほど先輩に謝ることしかできませんでした。

 

母と絶縁することになっても、全面的対決をしなければ、この苦しみをぶつけなければ治らないのではないか。

そう考えて、主治医の学会での発表や「精神的虐待」という言葉を伝えたこともありました。

母の反応は、

「私がどんなに、どんなに愛情をかけたと思ってるの! 人非人!」

「アンタには一千万円以上かけたんだから、治ってもらわないと困る」

「そんなに私が憎いなら、私を殺せ!」

 

……なんでこんな母のために、私が犯罪者にならないといけないの? 

母には「精神病の娘に殺されたかわいそうな母親」という称号が固定化されて? 

それこそ、「常に自分がかわいそうでいたい」母の思い通りじゃない?

 

ああ、このひとはもう、だめだ。 と、まさに気持ちが絶対零度になった瞬間でした。

 

「自分が悪かった」どころか、悪かった「のかもしれない」とも思わず、

そもそも「自分や自分のやり方は合っていたのか」の自省もせず、

兄弟と自分だけの狭い世界に生きて、その中で「一番賢く、一番やさしく、一番可哀想で、一番繊細な自分でいたい」、

それだけがこの人の人生なんだ。 たとえ娘がどうであろうと、どうなろうと。それが絶対なんだ。

 

もちろん私にも母に似た面はあるし、それを自覚もしているのですが

自覚したその後、それを出さないように努めているつもりです。

「自分にはワガママな面がある」と自覚すれば、それを表に出してしまうと他人が不快な思いをするから、出さないように努力する、そういうものだと思うんです。

が、母にはその「自覚する」という作業すらないのです。

「私が一番〜でいたい」が優先されるから、自分に本当はどういう面があり、それが他人(娘を含む)にどう作用しているのか、知ろうともしないのです。

 

全面的対決の覚悟ができるほど回復していた私の状態は、急激にまた悪くなりました。

幸い、今の夫に出会えたことと、新しく認可された薬が効いたことで 約10年の闘病を経て、寛解することができました。

 

 

母の、ある意味ぶれない人生が健在だと知ったのは、今から7年前。 
妹が妊娠し、すぐ胎児に水腫があることがわかり、のべ半年以上におよぶ入院を経て、死産した後でした。 
死産にも「産休」があり、妹は実家で休養中でした。 
そんなときに私が息子2を妊娠。 

一応母に知らせようとメールを打ちましたが、 「妹が落ち着くまで、妹には黙ってて」と冒頭に書いたにもかかわらず 「あら! 玖美が妊娠したんだって!」と叫んでしまった母。

当然ながら心中複雑な妹。

その後直接妹と私で話して、しばらく距離を置こうということになりましたが 母は「まだ和解してないの?」と。(あなたのせいですが!!!)

妹も知らせてきたことには、「母に『口を滑らせて私を傷つけたこと、謝って欲しかった」と言ったら、『あんたが家にいたおかげでお母さんは針のむしろだったっていうのに!』とキレられた」とのこと。 (いや、だから、あなたのせいですが??)

 

息子2を産んでから体調不良の日が格段に増えた私。
保育園へのお迎えすらきつい時があり、夫のすすめで(しぶしぶ)実家から母に来てもらいました。
でも、母は本当にお迎え「だけ」しかしない。あとはずっとうちの酒を飲んでる。
お迎えの徒歩10分がつらいほど体調の悪い私が、息子2の相手をし、母の話し相手をし、母のツマミを出し、
母が帰ったら母の食器を洗う。
1時間半かけて来てくれたのも、息子2のお迎えに行ってくれたのも、そりゃーありがたいけど
「なぜ」来てもらったのかを考えれば、自分のグラスぐらい洗っても良さそうな気がするんですが。

 

去年法事で会ったときも「玖美もお母さんの言うことを聞いていれば、東大に行けたのに」と言い放つので、本当に本当にガックリきました。 (まだ、そんなこと言ってるんですか???)

 

それ以来、極力母に会うのは避けています。

息子たちが「ばあばに会いに行く」と言っても、私だけ家に残ることもしばしば。

 

さらにガックリくるのは、記憶が都合のいいようにねじ曲げられてることです。

「玖美は体が弱くてお母さんは看病で大変だった」と言ってたくせに、 今は「大学の時あれだけ遊び歩いてたんだから、丈夫だったんでしょ。それに比べてお母さんなんか……」

 

この「それに比べてお母さんなんか」もものすごく多いのです。

仕事が大変だ、と愚痴っても「仕事があるだけ良いじゃない。それに比べてお母さんなんか、漢検の勉強しかやることがない」(いや、生活のために仕事しなきゃいけないのであって、漢検の勉強は趣味でしょうが!?)

頻発するめまいの原因がわからないのが不気味だ、と言っても「めまいぐらいいいじゃない。それに比べてお母さんなんか喘息と(以下略)」(私のQOL全く無視ですか!?)

息子1の大学受験が心配だ、と言っても「どうせ東大狙えないんだから。それに比べてお母さんなんか……」(私がなまじ東大狙えそうだったから悪いっての!?)

 

(ここで再び吐き気、いったん中断)

 

こういう親を持って一番不都合を感じるのは、自分が子どもを育てているときだということもわかりました。

子どもが成長していく各段階で、母の言動がよみがえり、私を苦しめます。

息子1が高校に入ったら、自分が母に言われた「お母さんを奴隷と思ってるに違いない! 冷酷な子!」がフラッシュバックしてきます。そこでほとんど意地で、5時起きして弁当を作ります。

息子2が、私が母に引き取られた年齢になったら、「ろくな人間にならない!」がフラッシュバックしてきます。絶対に人格否定の言葉は言わないように、神経を使います。

 

息子1の帰りが遅くなってきても、それが「普通の」成長過程における親離れの一環なのか、 
私のように家がイヤで「不下校」になっているのか、私には判別できないのです。 

 

子育てにおいて「モデルケース」「あこがれ」「こうされたら嬉しかった」がなく、 ただ「これがイヤだった」「これはひどかった」という、自分が受けたショックにもとづく「セルフ禁止事項」しかない。

あとは全くの手探り、という状態は、子育てにおける自分なりの正解を見つけるのに、より多くのエネルギーを必要とするのだということがわかりました。

 

私見ながら、よく言われる「虐待の連鎖」も、イヤだったことがフラッシュバックしたうえに

「自分だけこんな目に遭うなんて。子どもも同じ目に遭わせてやる」という発想になったり、

あるいはどこかで「あなたの親はおかしかった」と気づかせてもらえず、これが普通なんだと思い込んだままに大人になったりしたら、 十分にあり得ることだ、と思います。

 

ともあれ、そんな母が、約2週間前に指定難病「重症筋無力症」と判明しました。

 

私は手続きとか、介護とか、しなきゃいけないんでしょうか。

こんなにイヤな思いをさせられ、解離性障害の原因にもなった相手のために。

母親だから、というだけで。

 

まあ、夫も非正規労働者で私とあまり収入が変わらないので、 私が仕事に割く時間を多くしないと家計が成り立たず、

正直ここ数年、体調不良で働けない日はありますが、週休0日の週がほとんどなので、

今の家族(夫と子ども)を守るなら、母の介護をしている時間はない。

ついでに、私もリウマチ持ちで、確定診断ではなく様子見の状態ですが、喘息が発覚しています。

 

そう割り切ることもできるし、実際私がここ2週間ほど参っているのを見て 夫は「今の生活で既に100%の力を出している。あと10%頑張ればいけると思うかもしれないが、それはすでにオーバーワーク状態。行かなくていい」と言ってくれるのですが

やはり罪悪感はつきまとう。

 

それでも実際介護に行くとなったら丸1日かかり、

今請けている仕事(3つあるのです)は放っておくことになる。

それも無責任にすぎる。

 

「それでも頑張れば行けないことはないだろう、それが家族としての責任だ」という声と

「家族としての責任を果たさなかったのは向こうだ、自分の体調を考えても無理は避け、今の家族を守ることを優先すべきだ」という声とがせめぎ合います。

 

そのストレスか、母に連絡しようとすると手が震え、吐き気がします。 
昨日ついに胃炎の診断が降りました。

 

私はどうしたらいいのでしょう。

| 脳内無法地帯 | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0)
居を構えることは権利ばかりではない (2016.05.06)
上の記事の「保育園開設反対運動→中止」に関して思い出したことがある。
今の家を決めるときのこと。
今の家は大学のグラウンドが目の前にあり、大学敷地内にはグラウンド沿いに桜並木が広がっている。
もちろんそんな環境に住んだことのない我々(ツレに至っては一戸建て自体初体験)、もし越してきたらお隣さんになるお宅に聞き込みをしてみた。
お隣さんが居を構えたのは、我々のところより10年ぐらい先行して開発された宅地。
「桜がねえ……(くーっ)」※( )内はイメージです
というお隣さんの台詞が結局決め手となって、我々も住むことにしたのだが、お隣さんはこんなことも言っていた。
「私が越してきたときはグラウンドもまだ土でね。土埃がひどくて洗濯物が干せないってんで、ここら辺の住民が苦情を言ったわけ。そしたら芝にしてくれてね。今は大丈夫ですよ」
それを聞いた時ほんのちょっと「あれっ?」と感じたことの内容が、今なら分かる。
「後から来た者」である住民が、「元々いた者」である大学に対して苦情を言ったということへのちょっとした驚き。
そして苦情を聞き入れて芝を貼った大学側への、すごいな、という素朴な感情。
もし大学側が「後から来たのはそっちだ、分かってて越してきたんだから我慢しろ」という態度だったら?
また、実際に住んでみて分かったのだが花の季節には桜を室内からでも楽しめる反面、散りしおれ落ちた花やガク、秋には落ち葉が家の周囲に降り積もり、掃除が結構負担になる。
それに関して住民が「大学の敷地にある桜なんだから大学の廃棄物だ、大学側で掃除しろ」と主張したら?
「分かってて越してきたんだから我慢しろ」
「大学側で掃除しろ」
世知辛い、などの感情は別にして、どっちもまあ、何となく一理あるように思う。
そうなったら大変住みにくい雰囲気だろうとは思うが。
「居を構える」(大学は正確には「居」ではないが)ということは 未来永劫周辺環境が変わらないことを保証するものではない。
ウチの前だって大学が移転したりしたら何になるか分からない。
「緑豊かな住宅街」が売りだったはずなのに、飲み屋街になるかもしれない(いや個人的には歓迎するけど)。
その時に「緑豊かな住宅街っていうから家を買ったんだ、大学は移転するな」という権利は誰にもない。
後から来た者のために数十年(たぶん)続いた土のグラウンドを芝にすること。
数日間目を楽しませてくれた「ひとんち」の桜のために他の季節にせっせと掃除すること。
どちらもそこに居を構えた者として、「周辺環境の変化を受け入れて共存する道を選ぶ」という責任を果たしているのではないか。
もちろん受け入れるにも限度があるし、人によって限度も違うだろうから一概にはいえないけど、「どんなに権利のある人でも『環境は変わる』ということは止められない」というのはあるんじゃないかな。
市川市も、これが保育園じゃなくてパチンコ屋だったらどうなのかな、時間のあるリタイア組がはまって年金貢ぎそうだな、なら保育園の方がまだ健康的なんじゃ……なんて個人的には思うけどな!
| 脳内無法地帯 | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0)
「ママ」を考える (2016.01.29)
某所でちょっと考えさせられることがあったので、久々の投稿。
Twitterできのうさんざん書いたけど。

この記事もそうだけどさ、
<3歳児虐待死>「ママ苦しい」…119番暴行の翌々日未明

こういう事件が起こったとき、なぜ「犯人」以上に「母親」を責めるの?
某所のコメントで
曰く、「母親は何してた」、
曰く、「そんなに男が欲しかったのか」
曰く、「こんな母親離婚して当然、元夫がかわいそう」
曰く、「母親なら死んでも子どもを守るべき」

あまりにひどいんで、「もし、DVで普通の状態じゃなかったらなかなか守ったりできませんよねー」みたいなことを書いたら
「普通は守るだろ!」(だから普通じゃないんだってば!)
「じゃあこの母親は悪くないのか!」(そんなこと言ってない)
「こんな男を選んだ時点で母親死刑」(ひどい男だってのは認めるけど、じゃああなたは男選びに絶対失敗しないの?)
まるで私が犯人のような叩かれよう。

なんでこんなに感情的に母親を責めるの?
一番悪いのはどう考えても犯人の男じゃないの?

で、つれづれ考えて、3つの要素が見えてきた。

 嵎貎董廚箸いΔ發里凌誓参
▲泪好灰澆函△修両霾鵑悗寮簑佚信頼
自分が良い母親であることを証明するためのスケープゴート

,砲弔い凸簑蟷襪垢觚誓發蓮∈廼瓩舛蕕曚虧椶砲垢襪茲Δ砲覆辰討た。
「母親になる」っていうことは、「生物として子どもを産む」だけの条件でなされるはずなのに
「強くなきゃ、母親なんだから」
「優しくなきゃ、母親なんだから」
「自分を全て犠牲にしてでも子どもを守らなきゃ、母親なんだから」
「食事もおやつも手作りじゃなきゃ、母親なんだから」
と、オイオイそんなのが「母親の条件」なのかよ、ってことまで要求される。
主にその母親の子どもに対して責任のない人から。
Twitterでやりとりした同業のママは、おばあさまから「母親は風邪ひいちゃいけない。寝てもいけない。」とよく言われたそうだ。
母親になったら、人間やめなきゃなのか? まさに神なのか? 神聖化って文字通りの意味なのか?
そんなん要求されてたら、「母親」のなり手なんていなくなるよね。人間やめなきゃなんだから。
少子化って案外、こういうところからきてるんじゃないか。


△亡悗靴討蓮∋篌身苦い経験がある。
「大阪二児遺棄致死事件」において、2010年にこのブログで「
家に帰ると待っている子どもという『現実』から逃れるためだったとしか思えない」と書いたが、
その後、くだんの事件を追ったルポルタージュを見て(ホントにざっとしか読んでないので、「読んだ」とはとても言えない)、
被害者面してた元夫(二児の父)と元義母(二児の祖母)が
「母親と子どものためにならないから」と養育費も払わず、結果として母子の生活を困窮に追いやったこと、
また母親自身育った家庭が厳格すぎ、解離性障害(健忘)を起こしていたこと、を知った。
当時ブログに書いた「寂しければなんでも許されるわけではない」という考えは変わらないが、
マスコミでは取り上げられなかった、上記のような状況を知っていたら、少しとらえ方が違ったかもしれない。
一面にすぎない報道で判断してしまった、そのことを非常に反省した。
ルポルタージュを読んでいない大多数の人は、おそらくとらえ方を変える機会もないだろう。

マスコミは恣意的だ。
例えば私は普段家で仕事をしている。ご飯はあまりにも忙しいときや、体調が悪いときにはお弁当を買ったり出前で済ますときもある。
で、(考えたくはないが)お弁当を買った日にうちの子に何かあったら。
「母親は家にいましたが、夕飯はスーパーのお弁当でした」と報道されても何ら不思議はない。
その報道がどういう反響を及ぼすかも想像に難くない。
「その」シナリオに沿った証拠集めを、さらにマスコミがするかもしれない。
そして、普段私が作っている献立は一切報道しないだろう。

報道にはシナリオが存在することを、多くの人はおそらく意識していない。


が実は一番問題なんじゃないかと思っている。,箸盍悗錣觧柄なのだが。
3歳児事件の母親へのバッシングを見て、「あまりに感情的にすぎる」と違和感を覚えた。
子どもへの追悼より、男への憤りより、母親バッシングが優先されているように思えた。
「ひょっとしたらこの人たちは、自分の母親としての地位を守るためにバッシングしてるのではないか?」と思うと納得がいった。
「(自分より)悪い母親を感情的に叩く私は、(少なくともこの事件の母親よりは絶対に)優しい、良い母親である」
ということを、証明してみせようとしてるのではないか? そのために(意識しているかどうかはわからないが)冷静な分析を避けているのではないか?
冷静より感情的な方が、優しいはずだから、と。
だから「こういう可能性もありますよね?」と「冷静に」別の見方を提示した私にもバッシングが向かった。
冷静さは、「優しい良い母親」には必要ないものだから。実際はそんなことないと思うけどね。

,抜悗錣觧柄、と言ったのは、「母親の神聖化」があるがために、子育てが「理想の母親にどれだけ近いかを競うもの」になっているように思えたからだ。
本来、子育てに優劣ってないのではないかと思ってる。点数化され優劣が競えるものであるためには、物差しが一つであることが必要だが、
忘れてないか? 「相手」は子どもだ。物差し何それウマイの? そんなことより木から飛び降りようぜ! きっと楽しいよ! って生き物だ。
物差しが一つだったら、そこから外れるような「変人」の子どもは育てなくていいことになってしまう。そうじゃないよね。変人たちも立派に(と言うと変だが)育ってるよね。

本来優劣を付けられないものなのに、「理想の母親」との距離によって格付けされ、「あなたは私より母親として劣ってる」と言っていい(ことになぜかなってる)母親をこれでもかと貶める。
そうすれば優越感を保てるから。

鶏の群れにストレスを与えると、という話は有名だと思う。
群れの中で一番強いものが、二番目以下の鶏をつつく。二番目は三番目以下の鶏をつつき……となっていって、一番弱い鶏はというと、自分の卵をつつくのだ。
虐待件数が増加の一途、というのは通報体制が整ってきたことや、今まで家の中の問題とされ隠蔽されてきたことが社会の問題となってきたこともあるだろうが、
「母親の序列化」もそれに一枚加わってるんじゃないかと思ってる。

ユニセフにわずかながら募金していると、「手作りじゃなかろうがなんだろうが、食事があれば生きられたかもしれない」という子どもがそれこそ毎日何万人といることを知る。
日本のママたちよ、狭い日本の中での序列化にムキにならないで、子どもが育ってることをすごいと思おうよ。



 
| 脳内無法地帯 | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0)
人と比べることについて (2010.11.11)
またもご無沙汰しております。
家族に不幸があったり、ちょっといろいろややこしいことがあったりで、まあ大変。
私の人生を神様がネタにする日々は、まだちょっと続きそうです。




気になった記事があったので、紹介。

「マニュアルだけでは女も男も救われない」http://www.nikkeibp.co.jp/ecomom/report/report_242.html

>「頭が良くてキャリアがあっておしゃれでキレイ」が当たり前に


このサブタイトルで思い出したのが、小学校時代の同級生Sくん。
私のリアルでの初恋相手。ホントの初恋はガンダムのシャアだけど(笑)。

Sくんはスポーツ万能、ユーモアがあって頭もよくて、その上イケメンだった。

小学校の時、S君のことがホントにうらやましかった。
勉強もスポーツもできてその上イケメンなんて、ずるくね? と思っていた。

私も、言うたらなんだが、勉強はそれなりにできた。
でもとにかくスポーツができなかった。
体育はお情けで「ふつう」。たまに「もうすこし」。
小学校の6年間、徒競走タイムの遅い方から組分けをして、その中でもビリ。
「ザ・ビリ・オブ・ビリ」のチャンピオンの座を、6年間守ったのである。

上のmixiで言う「一芸に秀でた(でもどこか欠けた)人」の筆頭が私だったとすると(小学校という狭い世界ではあるが)、
Sくんは「天が二物も三物も与えるような一人勝ち状態の人」だった。


でもねー、「比べながら自分を確認していく存在」であったのは、せいぜい学生時代までだよ。
S君のことも、同じ高校になって再会したときにはべつにうらやましくなかった。
「彼は彼、私は私、別のところで生きていくことになるんだろうから」って思えた。
その代わりと言ってはなんだが、高校時代は「マルチな才能」、大学時代は「親の財産の有無」に猛烈に嫉妬した。

絵が描けて文章もうまくて英語もスッと覚えられた、高校時代の同級生。
親から「バイトはするな」といわれ、毎年60万のお小遣いをもらってそれをやりくりしては毎年海外旅行に行ってた、大学時代の同級生。
(ちなみに私は育英会奨学金と大学の奨学金を両方もらって、もちろんバイトもしている貧乏学生だった)
そんな人たちがうらやましくってしょうがなかった。

働き出して「あれ?」と思ったのは、そんな嫉妬がホントに突然、なくなったこと。
「社会ってもっと厳しいところだと思ってたのに、意外に私仕事できるじゃん」と、自信をつけたせいかもしれないし、
嫉妬するヒマもないくらい忙しく働いていたせいかもしれないし、
年齢もバックボーンも違う人々の中で、ああ価値観っていろいろなんだと
遅まきながら気づいたせいかもしれない。

ともかく、「人と比べて嫉妬する」ことがなくなったのだ。
見事なまでに。

そうしたら、人と比べて生きていくこと、それを続けることがどんなに疲れることか、見えてきた。

「少数派」だから何? 「合格点に達しない」ほほー。んで、その点数は誰がつけたワケ?
そんな反論もできるようになった。屁理屈? いいのだ自分が楽ならば。
向上心は、自分の物差しができたとき、それに沿った「上」を目指すことで、十分発揮できる。


比べる対象の問題もある。

アフリカで民族衣装を着て、顔に染料塗っているお母さんを見て
「お母さんだけどきれいでオシャレ、ああならなくては」とは思わないだろうけど
アフリカのお母さんたちから見たら「ウバディルガさん(仮名)みたいになりたい!」という憧れの存在かもしれない。

宇宙人が何人いるのか、あるいはいないのか、知らないけれど
「地球人は酸素を吸うの!? あんな臭いもの吸うなんて、信じられない! ダッセー! ふつーキセノンっしょ!」とか思っているかもしれないし
「母星があるとはうらやましい。我々の星、アルファ・ゲンドミーナ星(仮名)は遥か1万年前に消滅し、我々は宇宙をあてもなく漂うのみ……」と
うらやましがられるかもしれない。


60億人(だっけ?)いる地球人類の、アジアの中でも日本という狭い国の中の、男女で言えば女の、成人年齢に達した、子どもがいる、そして生活していける……と絞り込んだ、狭い狭い世界の中での嫉妬は、せこい。


就職する。そんなふうにほんのちょっと世界が広がるだけのことで、
そしてほんのちょっと想像力を働かせるだけで、背負い込まなくてもいい
嫉妬というものからこんなに解放される。

勝ったり負けたりはスポーツに任せよう。

| 脳内無法地帯 | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0)
寂しさは言い訳にならない (2010.08.02)
されど引っ越し。とにかく引っ越し。ホントに引っ越し。
そんな感じでめっぽう忙しいのだけど、どうしても気になることがあったので、書く。

大阪の幼児遺棄事件について、2人の方が書いていたことに関して。

作家、内藤みかさんのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/micanaitoh/diary/201008010000/

作家・TVディレクター・映画監督、山田あかねさんのブログ
http://yaplog.jp/akane-y-dairy/archive/2162

内藤みかさんはご自身もシングルマザーでホストクラブにも行っていたという経験から、
山田あかねさんは若いシングルマザーを支援する環境がないという視点から、それぞれお書きになっていて
それぞれ、だいたいのところにおいては同感なのだけれども
それでも、お2人のブログ記事を読んで、私は違和感を禁じ得なかった。


断っておくけど、私は決して母性神話の信奉者ではない。
「母親は24時間365日母親であるべし」とか「子どものためなら自分の楽しみは犠牲にして当然」とか
そんなことはこれっぽっちも思っていない。
むしろ、そんなに自己を犠牲にして(そしてそのことに自己陶酔して)子どもを育てて、
子どもに恩着せがましくならない母親なんてごく少数だと思うし、
恩着せがましくするぐらいなら、母親自身の楽しみを追求した方が子どもにとっても良いと思う。
だから容疑者に対して「母親なのにホスト遊びをするなんて」と眉をひそめるわけじゃない。
(ちなみに私は、ホステスさんなど接客業の人に気を遣ってしまうので
ホスト遊びも「何で高い金を払って気をつかわにゃならんのだ」という理由で、やらない)
母親が風俗店従業員だったというのも、2人の子どもを1人で育てるのだから
とにかく稼ぐ必要があったわけで、せっかくの若さを生かして高給を得たいと考えるのは当然だと思う。


そうじゃなくて、私の違和感の原因は

1.母親のホスト遊びが「育児の合間の息抜き」の域を超えていたことをわかっているかどうか
2.「加害者」である母親の心情に寄り添っているのに、「被害者」である子どもの心情には触れていないこと
3.寂しさのせいにして良いのか

この3点。


1.について、内藤みかさんは「自分は月に1回、子どもをベビーシッターに預けてホスト遊びをしていた」という
ことに触れ、「シングルマザーには強烈な寂しさを抱える人が多いから、寂しさを埋めるためにホスト遊びをしても責められない」というようなことを書いていた。
それはそれで正しいと思う。

が、内藤みかさん自身、ホスト遊びをしていたのは「月に1回」、しかも「子どもはベビーシッターに預けて」だったと書いている。
その頻度や、子どもの安全を確保していたことからも、内藤さんのホスト遊びは仕事や子育ての合間の「息抜き」の範囲内と言えると思う。

かたや、大阪の母親はどうだったろう。
2〜3日の外泊、そして6月下旬からは全く家に帰らず子どもは置き去り。
これが内藤さんのケースと同じだと言えるだろうか。

私には、家に帰ると待っている子どもという「現実」から逃れるためだったとしか思えない。
私も現実逃避は得意中の得意で、今だって引っ越し準備という「現実」から逃れてこうして書いているわけだが
それでも常に内側で声がする。
「逃げても現実は消えてくれるわけではない」と。
そして結局荷物の山に向かうことになる。

大阪の母親は「臭いものに蓋をする」とばかりに現実から逃げ続けた。
その結果、2つの幼い命が失われた。


ここで違和感の原因2.に移るが、内藤さん・山田さんのお2人とも
「母親の大変さ、寂しさ」には触れているのだけれど
残されて母親を待ち続けた子どもたちの「苦しさ、寂しさ」には触れていないのが、どうしても気になる。

母親は大人で、金もある。行動もできる。
ホスト遊びで気を紛らわせることも、コンビニで弁当を買うこともできる。外泊もできる。

けれど3歳の長女と1歳の長男には上記のどれもできない。
母親、あるいは救いの手を待ち続けることしかできない。
子どもだけではできないことがあまりにも多い。
それが、大人と子どもの、決定的な違い。

「寂しい」「遊びたい」そう考えたのは母親だけだったろうか。
3歳の長女と1歳の長男は寂しくなかっただろうか。
外で元気に遊びたいとは思わなかったろうか。
寂しい、遊びたい、お腹がすいた、喉が渇いた、苦しい、助けて、そう思いながら死んでいったであろう、その短い一生は、何だったのだろうか。


ちょっと話は飛ぶけど、こういった事件のニュースを見聞きするたびにいつも思うのは
「世の中って性善説で動いているんだな」ということ。

「普通の人間ならば」するはずがないのに、こんなひどいことをした、その心情は、心の闇は……
と、あくまで加害者の心情を探索して「普通じゃなくした原因」をさぐろうとする。

普通の人間が、一番怖いんだよ。
しきりに「心の闇」って騒いでるTVリポーターさん、あなたにも闇の部分があるでしょ。
でもあなたは普通の人間でしょ。それが行動に出るか出ないか、そういうことだよ。


話を戻して3.に行く。
自分の話になるけど、かつていわれのない嫌がらせをしてきた人がいた。仮にAさんとする。
私のこともAさんのことも、両方知っている人に
「なんでAさんはこんなことするんだろうね? 私のこと嫌いなら、離れればいいのに」と相談したところ
「Aさんは寂しいんだよ」という返事で、その時も私は違和感を覚えたのだった。

「寂しい」って伝家の宝刀?
抜けばなんでも許されるの?

シングルマザーの寂しさを全部わかっているかといえば、もちろんそんなことはない。
私は友人にも、連れ合いにも(離婚はしたけれどその後は)恵まれたと思っているし
そんな人間が寂しさを語るな、と言われるかもしれない。

でも、極端なことを言えば、それこそ誰でも一人で死んでいくわけで、
そこに寂しさを覚えたから……という理由があれば、何しても良いのか?

ある日突然白馬の王子様が現れて、受身のまま連れ合いになったわけじゃない。
自分の価値観をはっきりさせる、とか、価値観の合う人を見つけるアンテナをちゃんと張るとか
相手の話を聞くとか、そんなことだって立派に連れ合いを見つける「努力」で
そういう努力はちゃんとしたと自負している。


環境が整っていないせい、というけれど、その環境の中での努力をしたのか?


「カウンセラーがいれば」というけれど、母親はカウンセラーを捜したのか?
でーんと座って待っているだけじゃ、カウンセラーはやってこない。
まして周囲には「子どもは実家に預けた」と嘘をついていたのだから。

自分の寂しさを「全部」わかってくれる人なんていない。
だって自分じゃないもん。
自分と全く同じ生育歴や環境の人なんていないもん。

だったら少しは、自分の寂しさを自分で埋める努力をしないと。

「寂しい、寂しい」とわめいているだけじゃ、何の言い訳にもならない。

| 脳内無法地帯 | 19:31 | comments(2) | trackbacks(0)
任せる=信頼している、か? (2010.07.05)
少し前に聞いた、ある男性の言葉。
家事を一切しないし過去にしたこともない、という理由について
「妻を信頼しているから、妻に任せてある」と。

この言葉に激しく違和感を覚えた。

上司が、部下に仕事を任せる。
それはその部下を信頼しているからではあろうが、
上司は過去にその仕事を経験していて、コツのようなものを知っているから
部下がその仕事でトラブルを起こしたり、行き詰まったりしたときに
すぐに手をさしのべることができる。

さらに言えば、この場合でも上司は部下に「任せっきり」であってはいけない。
信頼して任せているという姿勢を崩すことなく
部下の仕事ぶりをチェックし、何でつまずいているのかを知らなければいけない。
つまずいた部下が助けを求めてきたときに
「何をやってるんだ! オレならそんなミスはしない」などと
怒るだけではダメ上司である。

つまり、上司が部下に仕事を「任せる」ことは
「上司が経験のあること」を
「部下のやり方でやっているのを見守って」
「助けが必要と判断したら助ける」
ということなのである。

最初の男性の場合はどうか。

家事をしたこともない、と公言しているのだから、「経験があること」とはいえない。
「妻のやり方でやっている」だろうが、「見守っている」ともいえない。
「助けが必要」であっても、また妻が助けを求めても、助けられない。経験がないのだから。

要するに、任せっきりのダメ上司と一緒である。
これで「信頼しているから」と言われても、信じられようはずがない。

異論があるかもしれないが、私は家事も仕事も一緒だと考えている。
なぜなら家族には家族のルールがあり、家族として運営していく必要のある「小さな社会」であるから。
上の文章の「家族」を「会社」に置き換えると、
「会社には会社のルールがあり、会社として運営していく必要がある『小さな社会』」となる。
ここに全く矛盾はない。

「会社」では使われる身でも、「家族」では共同運営者となる。
「会社」において、共同運営者が相方の仕事を一切知らない、そんなことがあるだろうか。

信頼している「つもり」で任せっきりにしておいたら、
いつのまにか会社を乗っ取られていた、そんな話はいくらでもある。

「信頼しているから任せる」という言葉は、聞こえがいいけれども
本当に「任せる」とはどういうことなのか、わかっていなければ
それはただの責任放棄、無責任なのである。

| 脳内無法地帯 | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0)
エネルギー源 (2010.06.25)
およそ1か月半ぶりの更新。
さすがにここまで間隔があくのは珍しい。

理由を考えてみると、まずはやはり仕事が忙しかったこと。
3月から9月まで続く長期戦のものと、短期決戦のものとが重なると
互いに邪魔をしたり、頭が上手く切り換えられなかったりする。

もう一つは引っ越し準備。
1か月半後に引っ越しを控え、各種手続きだの、新たに購入するものの下調べだの、そういう雑事が俄然増えてきた。

あとは体調不良。ま、今に始まったことじゃないけどな。

さらには気負い。
結局1時間ぐらいかけて書いていたりするので、時間的・気力的にキビシイときはキビシイのだ。
ブログは「日記」なんだから気楽に書けばいいじゃないかといわれそうだけど、なかなかそうもいかない。
ブログというものに対する構え方の違いなんだろう。

こうして考えていて、意外にも大きな理由となったのが「エネルギー源である『怒り』を覚えることが少なかった」ということである。

怒りを感じることはあっても、時事ニュース的なものだったり(時事的なものはすぐ古びるので、なるべく書かないようにしている)、職業上の秘密でここには書けないことだったり、というものは当然書くエネルギーにはならない。
しかし、そうでないことがあると猛烈な勢いで書いていたりする。

考えてみると、「感動した」ことを「誰かに伝えたい」と思うのは
「感動した」=「心が激しく動いた」ことをエネルギー源としているからであって、
「心が激しく動いた」という意味では「怒り」も同じなのかもしれない。
あとはどういった形の「心の動き」に反応しやすいか、ということであって
私は「怒り」に反応しやすいのだろう。


超有名ブログ「くるねこ」で、「怒りの臓器」が肝臓とあった。
酒といい、怒りといい、私の肝臓は日々大変だなあ。
休肝日には怒らないように……なんて、無理か。
| 脳内無法地帯 | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0)