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物書き玖美のありゃりゃな生活

もの書き・編集者・校正者の、本と言葉と日常。ペンネームは亡き祖母の名前。

『ハーモニー』伊藤計劃(ハヤカワ文庫JA) (2011.03.04)
評価:
伊藤 計劃
早川書房
¥ 756
(2010-12-08)
Amazonランキング: 1072位

解説の中で、著者は主人公の性別を特に決めていなかったとあった。
それが本当ならば「少女」であった偶然はすごいと思う。
男によって、あるいは胎児によって、自分の体が自分のものでないという経験をするであろう予感を秘めながら、まだそれに抵抗する≒自分の体を自分でなきものにする、ことのできる存在、すなわち少女であるのが必然だった気がする。
ただこの本の世界では「自分の体が自分のものでない」のは国家を超えた「生府」のためなのだが。
「生府」は成長期を終えた人間の体内に「WatchMe」と呼ばれる健康監視システムを入れ、「社会にとって皆大事なリソース」であるという観点から、病気も殺人も一掃しようとする。
健康、思想、すべてを管理され、「命を大切に」「他人に思いやりを」というスローガンが行き届いた世界。
それはユートピアに見えるが、まだ不足しているものがあった。それがラストで明らかになる。
世界の構築の仕方が恐ろしいほどロジカルで、面白い。
| 本について語る | 12:32 | comments(1) | trackbacks(0)
ハコと中身 (2010.02.04)
所有者の93%が「Kindle」などの電子書籍端末に「満足」--米調査

電子辞書には飛びついた私だが、電子書籍にはあまり心惹かれない。
他にもそういう人が多いと思う。

一方で「紙の書籍は近々姿を消す」と言い切る出版関係者もいる。
確かに雑誌の休刊・廃刊のニュースを見ると、荒唐無稽な話とは言い難くなる。

紙の書籍or電子書籍の議論で一番興味納得したのは
日付は忘れたが、Kindleが出た直後の日経新聞の書評欄でのコメント。
「紙の書籍は端末とソフトとが一体化している」というものだった。

なるほど、電子書籍は「端末」があり、ソフトをダウンロードしてはじめて
書籍として成り立つが、紙の書籍はそれ一つでハコとしても中身としても成り立っている。

ハコと中身が一体化しているということはどういうことかというと
ハコフェチを取り込めるということではないかと思う。

同じ芥川龍之介の「羅生門」でも
岩波文庫と角川文庫では紙の色や手触り、フォント、字詰めや行数が違う。
当然見た目の雰囲気も違う。

中身は同じでも、そういう雰囲気も含めて「ハコ」としての本を選ぶ楽しさがある。
昔、CDで「ジャケ買い」というのがあったように
装丁がキレイだから買う本というのは少なからずあるように思う。

逆に言うと、ハコがどうでもいい本、中身さえ読むことができればいいもの、
例えば実用書の類などは、どんどん電子書籍化されるのではないか。
辞書が電子化されたことで、重い紙の辞書を持ち歩かなくてよくなったように。

「ハコ」の重みも含めて愛しさを感じるような本(小説、画集などの類がそうだと思う)のほかは
電子化され、データとして消費されていくだろう。
それを嘆くつもりは毛頭ない。
もともと実用書とそうでない本との間には、厳然とした差異があったのだから。
そうでなければ「速読術」などというものが主として実用書に適用されることの説明がつかない。

何にせよ、出版業界はいたずらに新技術に怯えて下手な規制などしない方がよい、と思う。
「使える(ようになった)ものは使ってみる」のが人間の好奇心であり
その好奇心に支えられて、本は今まで生き延びてきたのだから。



| 本について語る | 18:38 | comments(0) | trackbacks(0)
『アイの物語』山本弘(角川書店) (2010.01.16)
評価:
山本 弘
角川書店
¥ 1,995
(2006-06)
Amazonランキング: 47435位
Amazonおすすめ度:
山本弘、最高!
いい話だった。
短編集を長編に

普段、「○○で1位!」「△△賞受賞作」「□□氏絶賛」といった類の帯文句はあまり参考にしないのだが、この本は違った。

「SFの読者だけのものにしておくのはもったいない」(書評家・北上次郎氏)
さらにそれを裏付けるかのように
「ベストSF2006国内編第2位!」

「本の雑誌が選ぶ2006年度ベスト10第3位!」
という帯の記述がある。

つまり、SFでありながら、SFファン以外にも訴える本なのだろう。
俄然興味が湧き、即買ってしまった。
(余談だが、単行本を買った後で文庫が出ていたことを知り、ちょっと後悔した。そのぐらいのボリュームがある)

感想を一言で言うと

「すごい!」


何がすごいって?

まず、設定。アンドロイドが満ち、人間は少数派となってゲリラ的に生きている未来の地球……というのはよくあるが、その原因は「人間VSアンドロイドの戦いに負けたから」という単純なものではなかった。では真実は? というところから物語が始まるところ。
そしてその「物語」がアンドロイドの口を通して語られること。
その「物語」を(プロパガンダかもしれないと疑いつつ)聞くのは、「物語」の力を信じる人間の語り部であること。
この物語を単にハードなSFではなくしているその設定がすごい。

そして構成。
アンドロイドの口から語られる7つの「物語」の部分は、ばらばらに発表されたものだという。それらをまとめ上げ、収束させる手腕がすごい。

とどめはその人間観。
私は7つの「物語」のうち「正義が正義である世界」「詩音が来た日」が特に好きだ。
ネタバレになってしまうのであまり多くは書かないが、「正義が正義である世界」というタイトルの意味を、読んだ後に痛いほど分かることになる。
「詩音が来た日」では、介護用アンドロイド「詩音」が人間をどう見ているかに愕然とし、人間に対してどのような姿勢をとっているかに感動する。
そういう人間観がすごい。

「機械は人間に近づけても、人間にはなれない」と言うことの傲慢さ、
「仮想現実(≒物語)にはまると、現実との区別がつかなくなるからイカン」という意見の稚拙さ、
「理解できないものを拒絶し、憎む」ことの愚かさ。
読み終えた後に、それらが深く深く浸透していくのがわかる。

久々に大絶賛。
再びSFの道に戻ろうかと思わせてくれた本。

| 本について語る | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0)
嫌いな人は反面教師である (2009.12.29)
評価:
向田 邦子
新潮社
¥ 380
(1985-05)
コメント:ドキリとさせられる
Amazonランキング: 54265位
Amazonおすすめ度:
エッセイも楽しめます。
エッセイの天才
向田邦子の世界

タイトルの「男どき」(「おどき」と読む)とは「何事も成功するとき」、対して「女どき」(「めどき」と読む)とは「めぐりあわせの悪いとき」である、とは何とも男尊女卑的思考、と思ったけれども、考えてみれば「自分はめぐりあわせが悪い、不運だ」と言っているのは女の方が多いかもしれない。

 身のまわりの年寄りも若々しくみえる素直な友人たちを見廻して気がつくことは、彼女たちが、みな、悲観論者ではない、ということです。
 よき夫よき子供たちにも恵まれているのに物事を悪い方悪い方と考えて、そのせいでしょう、顔つきが暗くけわしくなっている人を知っています。
 先のことをくよくよしたところで、なるようにしかならないのです。飢え死にした死骸はころがっていないのですから、みんな何とか生きてゆけるのです。そう考える度胸。これも若々しくあるために必要ではないでしょうか。
(若々しい女について)


「めぐりあわせが悪い、不運だ」と言っている女たちは顔つきも老けて見えるようになり、老けたことでますます自分は老けてしまって不幸だと思い込む……そういう悪循環に陥るのかもしれない。



この『男どき女どき』には小説4編とエッセイがおさめられている。
小説とエッセイに共通して言えるのは、決して絵空事ではない日常生活の中の、どちらかというとイヤな意味で「ドキリとさせられる」場面が描かれていること。
上の引用も、ある程度の年齢以上の人間には、自分にあてはめて「ドキリとさせられる」ものがあるのではないだろうか。

上に続く部分にはこうある。
 ライバルをみつける。
 これも効果があります。
 あのひとみたいになりたい。
 あの人を追い越してやろう。
 有名な女優でも、隣りの奥さんでも、誰でもいいのです。具体的なターゲット(標的)をみつけ、それに狙いをつけてやってみるのです。


私はこの部分が苦手である。
「他人は他人のいいところ。自分は自分」と思っているせいか、はたまた元々競争心や嫉妬心が足りないのか、「ライバル」といえる人をみつけることができない。

しかし、さらに続く部分にはとても共感する。
 それと一緒に、
 ああなったらお終いだな。
 ああなりたくない。
 という、いわば反面教師も、ついでに見つけておけと、昔からいうじゃありませんか。


考えてみると、「ライバル」は「ああなりたい」といういわば上にいる見本、上限ラインであり
「反面教師」は「ああなりたくない」という、自分に課す最低ライン、
「どこまで落ちようとも、これより下には行かないぞ」というラインである。
私は時々落ちかけては、最低ラインの存在を思い出してハッとし、慌てて上にのぼろうとするということを繰り返しているのかもしれない。

昔から本当は合わない人、本当は嫌いな人が多かった。
「いい人」とは言わないまでも「嫌な人」になりたくなくて、ほとんどは隠していたけれども。
嫌いな人の何が嫌いなのか、を考えるのは好きだった。
それは嫌いな人≒反面教師であり、自分が向上はしないまでも、少なくとも落ちずにいるためには
反面教師を増やす方が性に合っているということが、無意識にわかっていたからかもしれない。

ライバルのところまで上がろうと頑張るか、反面教師のところまで落ちないように頑張るか。
両方あれば一番いいのだろうけれど。


*********************************

2009年の記事はおそらくこれで最後となります。
今年はいつもにも増して更新頻度が少なく、無駄足をさせてしまい申し訳ありませんでした。
こんなですが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様良いお年をお迎えください。



| 本について語る | 18:17 | comments(0) | trackbacks(0)
父親の子育て (2009.10.06)
評価:
岡部 敬史
学習研究社
¥ 1,050
(2009-09-16)
コメント:子育てに自信がないというプレママにも。
Amazonランキング: 7503位
Amazonおすすめ度:
温かいタッチの絵に温かい話に感動

「父親も育児に協力すべきだ」という意見が嫌いである。

(ホントなら母親がやるべきところなのを)父親「も」「助けてあげる」、という恩着せがましさが見え隠れするからである。

子どもの遺伝子の半分は父親のものである。
そして、カエルやら魚やらとは異なり、産んで産みっぱなしというわけにはいかない。
大人が1から10まで面倒を見てやらなければいけない。
ならば遺伝子を半分担当した父親が、10の育児のうち半分を担当しなくて良いわけがない。
私はそう考える。

この本にも書いてあるが、育児において母乳をあげること以外は父親だってできることばかりで、
それを
「どうやっていいかわからない」「下手だから」ということを言い訳にして
逃げているのが日本の父親である。

会社の職務を「下手だから」「どうやっていいかわからないから」という理由で逃れられるか? 
そう考えれば納得できると思う。

父親という職業(一般的な職業欄に書くのとは違う意味での)を選んだ時点で
その職務からは逃れられないのである。
母親が母親という職務から逃れられないのと一緒である。

父親が育児をしたからといって、ちっとも偉くない。当然のことである。
その当然のことすらできていないのが「父親」の現状である。

が、現状を嘆いているばかりでは仕方がない。
それを変える一歩となりうるのがこの本なのかもしれない。

正直に言って私が経験したのは「母親」であって
「父親」には逆立ちしたってなれないので
この本の内容に「えっ!? こんなことまで書いてあげないといけないの? これってママにとったら常識じゃないの?」と驚くこともあった。
父親向け、ということがどれだけ「育児初心者向け」なのかに驚愕することがあった。

さらに言うと、この本はあくまで「赤ちゃんとの接し方の一例」であって
すべての赤ちゃんがこの本のやり方で爆笑するわけではない。
「完全なマニュアルなどない」それが育児なのである。

しかしそれらを差し引いても、この本の意義は大きい。
「わからないと避けず、まずやってみようよ。ウケたら嬉しいじゃん」
そういう気軽なスタンスで臨む育児本が、いままでなかったからである。

やれこの病気に注意、栄養はこうで、発達は、情緒は、親の心構えは……と、
まるで受験勉強のように「やるべきこと」をたたみかけられたら
楽しく育児なんかできない。
まして今まで大人のペースでできていた生活ががらっと変わり、心身ともに混乱状態にあるのに
愛情という名の自己犠牲をさらに強要される言葉ばかりを目にしていたら
そりゃノイローゼにもなるってもんだ。

そうじゃないよ、育児ってやろうと思えば楽しくできるんだよ、というスタンスは
非常に重要だと思う。

ちなみに文章を担当した岡部敬史さんは、私の大学時代のサークルの後輩。
絵を担当した平井寿信さんのブログは、全く違うルートでいつも楽しく見ていたので、世間の狭さに驚いた。

岡部さんの奥様も同じ、大学のサークルの後輩である。
私の息子がまだ生後半年くらいのときに、岡部氏と彼女とは結婚直前で、一緒に遊びに来てくれたこともある。
そのときの逸話。
話しているうちに、寝ていた息子が起きた。
オムツを替えなくてはと思ったが、さすがにお菓子を食べている来客の前ではちょっと……と思い、別室で替えようとした。
すると彼女、一言。
「オムツかえるんですかー? お○んちん見せてください!」
……サークル内での「可愛いランキング」入りしたこともある彼女だったのだが、どこで下ネタ系に芸風が変わったのか。
彼女は今、夫のこの本、および自分の息子をどのように見ているのか、訊いてみたいものである。
(岡やん、奥さんの過去をさらしました。すみません)
| 本について語る | 17:25 | comments(2) | trackbacks(0)
本の売れ方、本の買い方 (2009.06.19)
評価:
蛇蔵&海野凪子
メディアファクトリー
¥ 924
(2009-02-18)
Amazonランキング: 2位
Amazonおすすめ度:
日本語ってムズカシイ・・・でも日本語って愛おしい!
子供から大人まで
笑えて勉強になる。

最近暑くてひどく疲れる。
脳も茹だったようになってあまり重いものが読めず、もっぱら軽めのエッセイや対談、マンガを読んで過ごしている。

その中でこれは非常に面白かった。
書店でも平積みになっているし、レビューも多いのでもう書くことはないかもしれないが、一つだけ。

前の記事で『1Q84』がやたら売れていること、だが読まずに済まそうとしている輩もいること、について書いた。
同じ「売れている」本でも売れ方が違うのだと感じた。

『1Q84』は発売前に内容などが一切知らされない、いわば発売自体がミステリー仕立てであったせいもるだろうが
おそらく読んだ人のクチコミが広まる前に売れているのではないか。
「読まずに済ます」という特集でもわかるように「とりあえず買っておけ、買えなければ知っておけ」という、その内容にかかわらない売れ方、とも言える。
買い手にしてみれば「まだ買ってないの? 私は買ったよ」と、先手必勝の優越感を覚えることのできる買い方とでもいうか。

だがおそらく『日本人の知らない日本語』は全く逆なのではないか。
「面白いらしい」という評価が広まって、手に取る人が増えたのではないか。
そうでなければ、「コミックエッセイ」というジャンルにしてはお堅いタイトル(これも一種のジョークという見方もあるかもしれないが)で、ここまで売れるとは思えない。
そして買った人はまた「面白いしためになるよ」と他人に勧める。

面白かったこと、そしてためになったこと、それらを誰かに伝え、誰かと共有したい、同じギャグを見て笑える人と話が盛り上がるように、この本の話題で盛り上がりたい。
そんな買い方をしている人が多いような気がする。

もちろん上に書いたことはすべて、私の推測に過ぎない。
だが「本が売れない」といわれて久しいわりには不思議と、ヒット商品は出る。
ヒット商品そのものを分析するのも結構だが、受け手である読者がどういうときに、どういう本に興味を持つのか、その調査の方にもっと時間をかけてもいいのではないかと思う。
| 本について語る | 18:47 | comments(0) | trackbacks(0)
それ、おかしいでしょ (2009.06.12)
評価:
山田 詠美,ピーコ
講談社
¥ 540
(2006-09-16)
Amazonランキング: 307425位
Amazonおすすめ度:
オトコ+オンナ=オトナ

評価:
山田 詠美,ピーコ
講談社
¥ 540
(2006-10-14)
Amazonランキング: 297198位
Amazonおすすめ度:
styleの連載をまとめた本書
生き方の参考書




村上春樹の小説『1Q84』が売れているらしい。
すでに100万部を突破したという。
近所の本屋でも「品切れ 次回入荷は8月予定」とあって、そのすごさを知る。

それはいいとして、
『1Q84』を「読まずに知ろう」という雑誌の特集があると聞いて「うそだろー!?」と思った。
調べてみたら、ホントにあった。しかも2誌も。

女性自身2009年6月23日号 「全1055ページ解説 込められたメッセージ 読まずに知りたい村上春樹『1Q84』」

サンデー毎日 2009年6月21日号 「『1Q84』バカ売れ 読まずに済ます村上春樹」

……いや、あの……(しばし絶句)。
本って、「読む」ためにあるものですよね?
それを「読まずに」わかろうっていうのは違うんじゃないでしょうかね?

「読まずに知りたい本」がありなら、
「聞かずに知りたい音楽」とか
「見ずに知りたい絵画」とか
「食べずに知りたいグルメ」とかも
ありってことでしょうか???

んで、知ったつもりになって「あれはねー」なんて語っちゃったりするんでしょうか?

おかしいでしょ。

流行っているもの、売れているもの=ちょっとでもかじっていれば自分の価値が上がる良いもの、じゃないでしょ。
自分で読んで、聞いて、見て、食べて、自分にとっての価値を計らなきゃ。


で、なぜ『ファッション ファッショ』『ファッション ファッショ マインド編』を取り上げたかというと、
2冊もかけて(といっては失礼だが)言っていることは非常にシンプルだから。

何かというと
「自分の内面から湧き出る価値観を持て」
この一言に尽きると思う。

みんなと同じスタイルで安心するのも、
みんなと違うスタイルをことさらにひけらかすのも、
その価値基準は「みんな」にあって自分にはない。だから格好悪いんだよ、と言っているように思える。

自分を客観的に観察できる眼があり、自分にとって何が大事なのか(動きやすさか、耐久性か、素材か等々)わかっていて、TPOをわきまえて(いくら高価なブランドものでも、カジュアルなデザインのものをパーティーに着ていってはいけない、など)いれば自然と格好良くなる。

それは自分の価値観を育てる努力をしていないとできないこと。
流行っているからと言って読まずに知ろうという、一夜漬けの浅はかな魂胆じゃ、ダメってこと。

自分で見、聞き、読み、感じ、味わって、自分なりに咀嚼して初めて、そのものは自分のものとなり、自分の価値観の一部を形作る。
それをしないで、借り物で格好良くなろうなんてアホな考えはしないで欲しい。

| 本について語る | 11:30 | comments(2) | trackbacks(0)